2019年11月18日月曜日

以前いた街が懐かしかった話





用があって数年前まで住んでいた街を訪れた。今住んでいる場所から自転車で行ける程度の距離だが、同じ街の端から端までくらい離れているので、なかなか行く機会はなかった。

せっかくだから住んでいた時によく使っていた道などを通っていると、妙にうれしいような楽しいような気持ちになった。不思議だった。ここに住んでいた頃だってあれもダメこれもダメで状態はろくでもなくて、大して良いこともなかったはずなのに、と思った。

今と何が違うのか、と思えば、希望の量が違ったのだと気づいた。そこにいた頃も行き詰まってはいたが、まだ多少元気だったのだ。
それから今日まで数年間かけて、結果も出ずに努力が挫け続けて年齢だけ重ねた。それにより、単純に希望の残量が減ったのだ。


ふと思った。
年を経るにつれて希望が減るのなら、これからもなけなしの努力が折れ続けるのなら、数年後はどうだろう。例えばどこかに引っ越してから数年後に今いる場所を訪ねたとき、やっぱり「あの頃はまだ希望があったよな」と思うのだろうか。クソつまらない今の生活でさえ、きれいで愛しく懐かしく思えるのだろうか。

そんな風に考えると、夢があるな。クソみたいな夢がある。



(冒頭画像は、songping wangによるPixabayからの画像)


0 件のコメント:

コメントを投稿