2019年12月18日水曜日

ギガが減る話



最近の人たちは高速データ通信容量が減ることを、「ギガが減る」と言うらしい。実際キャリアでもそのような表現がされていることがある。


「ギガ何」が減るんだよ?意味わからん。
という評価もできるし、この表現を見聞きするときの素直な感想でもある。


ただ、悪いことばかりでもない。


「ギガが減る」ことを正確に表現するのなら「月間高速通信利用残容量が減る」といった表現になり、文字が増える。


ある事柄を言葉で表現するときに、「良い表現」といえる基準の一つとして、「1文字当たりの情報量が多いこと」が挙げられると思う。言い換えると、「同じことを表すのならば、文字数が少ない方が優れた表現だ」ということである。


仮に「ギガが減る」という表現がすでに符丁として成立しており、その意味が相手方に一義的に伝わるのであれば、一文字当たりの情報量(情報密度)はとても多いといえる。「月間高速通信利用残容量」という言い方(漢字で11文字、音読の文字数で言うと21音)を、「ギガ」という2文字で言い換えられるのならば、その有用性は高いとみるべきだ。


もちろん、「聞き手に不快な印象を与えないのが良い表現である」という要素を重視するのならば「ギガが減る」というのは(今のところ)劣った表現である。


ただ、情報密度の観点からはそれはそれで悪くない表現なのだと思う。




ちなみにこのような情報密度の観点からすると、「マニュアルトランスミッション車」のことを「マニュアル」と呼ばずに「ミッション」と表現するのは、明確に劣った表現だ。正直、聞くたびにモヤモヤする。
文脈がない場合(つまり発言の一言目に使う表現の場合)、仮に「ミッション」とだけ言ったところで、聞き手としては「何トランスミッションだよ?マニュアル?オートマチック?」となるからだ。つまり、情報としての一義性が低いのである。
文字数が少なく済むのなら一義性が低くなる(情報量が減る)としてもそれはそれでメリットもある。
しかし、「マニュアル」と「ミッション」は文字数(音数)も同じだ。したがって、「ミッション」という表現は、一文字当たりの情報量が少なく、劣った表現(下位互換)だといえる。




こんなわけで、「ギガが減る」のもそれはそれで悪くない、と思う。


ただ、それでも「ギガが減る」と聞くとクスっとなる。



















2019年12月14日土曜日

falla extra virgin olive oil の話





オリーブオイルってそんなに味あるか?ギトギト感さえなければ銘柄なんて何でもよくないか?という気持ちがあるので、特に銘柄にはこだわらず、とりあえず500ml300円くらい、という価格帯だけで決めて買っている。




先日ディスカウントストアの「サンディ」で買ってみたのが、「ファラ エキストラバージン オリーブオイル」という商品だ。500ml298円だった。




使い始めて気づいたのが、とても香りが強いことだ。鍋などで軽く熱したりすると、梅を連想するようなすごく派手なにおいが出るのが気に入った。強めの塩で茹でたパスタにからめるだけで味見してみても結構おいしい。




オリーブオイルは安物しか使ったことがないし、そんなにいろいろな銘柄を試してきたわけでもないが、味の素や業務スーパーの低価格帯のものなどと比べても華やかな香りに感じた。


華やかな香り、というのは、見ようによっては「香りが派手過ぎて下品」とか「ジャンクな味」という評価にもなりうるのかもしれないが、とりあえず気に入った。使っているうちにマイナス面にも気づいてしまうのかもしれないが、今のところは特に気になる点はない。








「違いの分からない人間」にもわかるような明瞭な刺激は良い。上品でも風流でもないかもしれないが、楽しい。

2019年12月3日火曜日

そういえば思い出した話





このところ、「将来うまくいっているイメージ」が一切わかなくなっている。もしも今やっていることで結果が出ても、その先の人生がうまくいくルートが思いつかないのだ。


そのせいで、何をやってもダメ、何もかもうまくいかない、という気持ちでいる。


どうせうまくいかないのなら、何をどう頑張っても仕方ないのではないか?どうせ報われない努力なら、しないほうが得なのではないか?この先の人生が上手く行きようがないのなら、生きてる意味は?


そういう気分に沈んでいることが多い。


ただ、ふと思いだした。きっかけはわからない。



今さら自分に「まともな将来」「きれいな人生」「うまくいく生活」とかそういうものなんて望むべくもないのだ。そんなことは何年も前から分かっていた。無駄な努力で15年間を無駄にしたときに、それはもうわかった。


自分が今新しい努力をしているのは、「立派な人生」を掴み取るためではない。クソなクソ人生を、少しはマシなクソ人生にするためだ。


そんな簡単なことを、この半年くらい、なぜか忘れていた。随分時間を無駄にしてしまった。


思い出したら少し気が楽になり、頑張る気力が出てきた。