2019年11月20日水曜日

二重まぶた信仰の話





掲示板などを見ていると、二重まぶたを異常に褒め、一重をひたすら貶すような意見を結構見かける。

自分は一重だが、特にそれで自分の顔が不細工になっていると思ったことはない。というか、一時的に二重まぶたにすることはできるが、正直その顔は濃すぎて好きではない。

華やかさで言えばもちろん二重が圧倒的だが、「顔が美しいかどうか」は、目が二重かどうかなんていう些細なことで決まらないと思っている。そんなことより大事なのは、骨格とかパーツ配置とか鼻だろう。二重の大きなお目目をしていても、他が整っていなければ、自分にはそれが美人だとは到底思えない。逆に他が全部同じように整っているのなら、二重と一重は好みの問題だろう。

しかし、一抹の劣等感?でも抱いているのか、一重まぶた貶しを見ると、どうにもイライラする。

本当に美しい顔をした人なら、他人の顔自体を貶すことはあっても、他人の目が一重であることに絞ってわざわざこき下ろすような情熱はないのではないか、と思う。一生懸命ネット上で喚くのは、そこにしか拠り所がないからなのではないか。

だから、一重を極端にこき下ろす人は、要するに「目が二重なことにしか取り柄がない不細工」と「目が二重でさえあれば美人になれたはずだとでも思っている不細工」の二通りしかいないのだと思う。

それはわかっているのだが、なぜかそういう意見を素通りできずに見て、また不細工が吠えている、と思ってしまう。


あるいはイライラしたくて見ているのか?よくわからない。よくわからないが、ああいう言説はとても嫌いだ。



(冒頭画像は、LhcCoutinhoによるPixabayからの画像)


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