2019年11月15日金曜日

恥に包まれる話



近く、親族で集まる機会がありそうだ。


何をやっても結果が出ず、振り返ってみれば無駄な努力ばかりを何年も何年も何年も続けて、すっかり社会不適合者になってしまった。そんな風になってしまうと、親族や古い知人などにあまり会いたくなくなってくる。「まともに」生きられている人たちに会うのはむしろ苦痛だ。

報告したいようなことも別にない上に、逆に非難されるのは普通に辛い。言い返せることなどない。運だろうと才能だろうと執念だろうと、とにかく結果を出すことが全てだ。現に結果を出せていないのだから、恥じるしかない。何をしても何も結果が出ないままに年だけ重ねてしまった人間の成れの果て、それが自分だ。まともな社会人になり損なってしまった自分を日々恥じながら生きている。

恥の気持ちは結構重い。そもそも生きているだけで恥ずかしいので、旧知・初対面問わず、「まともな人」と会うのに積極的でなくなる。

人と会うことが減ると、自分の状態を世の中に合わせて修正する機会が減る。おそらく今、自分ではわからなくても、何かしら視野狭窄に陥っているのだろうと思う。

しかし、そこから脱する手段も見つからない。そもそも人と会うこと自体を避けがちになるし、誰と会っても何をしていても、「人生に失敗した自分が恥ずかしい」「手ひどく馬鹿にされたくない」という、恥と恐怖感で頭がいっぱいだ。

おそらく、年齢が若いうちに、何かを目指すのをやめてとにかく普通の生活、普通の人生をまず得るべきだったのだと思う。若ければ許されること、若ければ恥じなくてもよいことは、きっと少なくなかったはずだ。

そんなことを言っても、今はもう遅い。かといって、明るく開き直るメンタルもなさそうだ。

だから、この閉塞感と付き合いながら、できる努力をするしかない。クソ。



親族の集まりに行くべきだと考えたのも、行く、と答えたのも自分だ。だから、ちゃんと用意して行くつもりだ。でもそれはそれとして辛いし、そのことで精神を削られるので、本来やるべきことに取り掛かる気力が出ない。


そんなわけで、またここに吐き出している。



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